母の命日 Vol.2

ナイチンゲール ブログ
ナイチンゲール

Vol.1より〜続く。



私は結婚してから東京に出てきてもう20年以上が経ちます。

実家は兵庫県なので、新幹線でも約4時間の距離。

年末年始には必ず実家に帰ることは決めていましたが、それ以外は電話で時々話す毎日。

母はいつも元気で厳しくて、病気が進んでいることなんて知るよしもなかった。

そんな元気印の母が倒れたと連絡があってからは、時間が進むのがとっても早かった。。


兵庫の病院で検査

検査結果に時間がかかり(検査結果に約1週間待ち)

待っている間にますます悪化

父が待ちきれずに色々調べて、東京広尾の日赤医療センターの名医に辿り着く

早速、東京へ検査へ

検査後すぐ入院。



病名は、「多発性骨髄腫」でした。

血液細胞の一種である「形質細胞」からできる血液の癌。

遺伝子や染色体の異常が関係していると考えられています。


最初は、肋骨の骨折から始まりました。

太い骨が日常生活で折れるのはおかしいということで検査をした結果、骨髄腫ということが判明。

もうこの時点でステージ3。

ここまでくると本当に進行が早く、検査結果を待つ1週間が命取りになるところでした。


父が直ぐに動いて東京に連れてきて、日赤医療センターの多発性骨髄腫の名医と言われる鈴木先生の予約が奇跡的に取れて診て下さったから、母の命を繋ぎ止めることができました。

田舎で育った私ですが、今回のことで田舎と都会の時間の進み方が違うことを知りました。

兵庫の病院で受けた検査の結果を待っていたら、母の命は結果が出る前に無くなっていたかもしれません。


東京がすごいのか、日赤医療センターがすごいのか、検査をするにも検査結果が出るのも本当に早く時間に無駄がないことに感動しました。

母のような重病人にはその少しの時間がとても大切で、家族にとっては涙が出るほど嬉しかったことです。

また、骨髄腫の分野では日本のトップを邁進されている鈴木先生ですが、とても気さくで話しかけやすい雰囲気を出していらして、娘の私にもきちんと向き合って話して下さる先生でした。

私たち家族は鈴木先生にどれ程救われたことか、感謝の気持ちしかありません。

病人を持つ家族にとって、先生の一言一句で救われたり絶望の淵に追い詰められたりします。

そんな気持ちを理解された上で、入り込むわけではなくきちんと必要なことはお話くださりながら、病人本人の気持ちや家族の話も聞いて下さいました。


母はというと、約1年間の抗がん剤治療をして寛解(骨髄腫の世界では完治はなく寛解といいます)し退院。

ステージ3だと知らされた時の絶望感が夢だったかのような気持ちでした。


そんな母は、定期的に検査をしながら約5年間、普通の生活に戻り大好きな自分の会社の為に奔走していました。

そう、5年目に再発するまではー。。。


→VOL .3に続く