母の存在

ナイチンゲール ブログ
ナイチンゲール

先日、母の命日でした。

今日は少し母のことを思い出し、書き留めておこうと思います。

私にとって、とっても大きな存在だった母。

誰よりも優しくて、誰よりも厳しく、そして少し自分勝手な母。笑

母は日赤の看護学校を卒業し、命が尽きるまで看護に携わっていた人でした。

母にとって日赤を卒業し看護師になったことが何よりの自信であり自慢だったように思います。

ナイチンゲールの精神を受け継ぎ、厳しい医療の現場でもその精神を忘れたことはなく、それ故に悩みや苦労が絶えなかったようです。

でも、私はそんな母の背中を見て育ち、看護を全うしている姿が誇らしかった。

そんな母に憧れて、進路を決める時に看護師を目指そうかと相談した時、母は一括、

「絶対にやめなさい。医療の道に行きたいのなら看護師ではなく意地でも医者になりなさい。それが出来ないなら医療の道に進むのはやめなさい」と。

色々な考え方があると思います。

でも、母のその言葉を聞いた時、どうしようもない社会の壁を感じました。

もちろん、母の時代と今では多少の温度差はあると思います。

でも、「それぞれの仕事を尊重し認め合う」のではない現実がそこにはあるような気がしました。

どのような社会でもあることかもしれませんが、「差別」と「区別」について。

でも、この2つの言葉は現実には曖昧に使われることが多いように感じます。

この言葉の狭間で、ストレスを抱えることも多いのではないでしょうか💦

もちろん、その仕事においての責任や重責があり、区別というものは必要だと思います。

しかし、人間の好き嫌いが入ってきてしまうのも事実。

その瞬間に「区別」ではなく「差別」がうまれます。

人間ですから好き嫌いがあるのは仕方ない。

でも、、、途中退職していく8割以上が人間関係で辞めていくという事実にも目を向けないといけないと思ってしまいます。

母も、プライドを持って仕事していたからこそ、私にこのようなアドバイスをしたような気がしています。

そんな母は60歳まで看護師として邁進し、その後は父と一緒に会社を設立。

看護の世界に携わってきたからこそ、これからの社会に必要だと感じていた「介護」の会社です。

訪問看護から始め、小規模多機能施設→認知症の方の為の介護施設、と3施設を開業させ、とても忙しい毎日。

でも、本当にやりたかったことが現実になり、楽しそうに毎日奔走していました。

そんなある日、両親の近くに住んでいる妹から連絡が。

「ママが病気」

だと。

とっても元気でいつも周りにパワーを送っている母だったので、母が病気になるなんて全く考えていなかった私。

頭が真っ白になりました。

→VOL.2に続く